「ルーブル展」と草刈りと『北の零年』

一昨日から秋の仕事の段取で作業所の整理やら籾摺り機の設置をしているけれども、朝、それを少しやって、昨日は子供らを連れて京都市美術館へ「ルーブル展」を観にいく。長男の夏休みの宿題で、美術館へいってきなさい、というのがあるのだ。いやはや、奥さんと二人で、子供四人を連れて電車でいくのだが、小さな子供もいるのでこれもなかなか大変。京都駅からは地下鉄で東山まで。「ルーブル展」の方は、子供たちはどれほど眺めていたのか、子供らに遅い遅いと叱られながらの観賞でした。ま、光と影ですわな、絵画も。写実的な絵を前にして、子供らはこれは写真なの?と質問しておりました。裸婦にしても天使にしても、その皮膚の感覚の圧倒的なこと。

あとはもう京都駅周辺しか回れなかったけど。

今日は朝からか草刈り。ここ一月くらい稲に花が咲いたりカメムシの共同防除があったりで、しばらく草刈りをしませんでしたから、伸び放題です。先日研摩しておいた草刈り機の刃も使ってみましたが、よく切れました。うんうん。午後は午睡のうちに二度ほど雷雨。止んだので草刈りにでましたが、またまた辺りが暗くなってきて、遠くで稲光が。遠いうちは作業していましたが、近くでビカッとくると、もういけません。走って軽トラへ。二三枚向こうの田んぼで同じく草刈りをしていた人も走って軽トラへ向かっておられました。ほどなく雨。今日のところはまあここまでということにしました。

ここしばらくのうちに読んだ本。

橋本治『双調平家物語6』(中央公論社

『養老先生と遊ぶ 養老孟司まるごと一冊』(shinnchoumook)

『若者はなぜ農山村へ向かうのか』(現代農業別冊)

うーん、他にもあったような気がするけど橋本の『双調平家』は6巻までしか買っていなかったので、7巻8巻をアマゾンの古本で注文した。7巻も面白いです。もうこれは日本史その物だね、というか「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」というのは、もう平氏だけのことではないのであって、いつの時代でも、どこの国でも当てはまることなので、橋本双調平家のようなことになってしまうわけですわな。

『養老先生と遊ぶ』もよかったですね。昔からの養老孟司ファンとしては(ホントか?)。養老先生の人生相談のところがよかったですね。昔の開高健の『風に訊け』風で。ああ、もう一度『風に訊け』も読んでみたくなりました。

そういや、昨日はうちの奥さんが借りてきた『北の零年』のビデオを観ましたが、よかったです。いやはや。土地を守るってことの意味がわかりますね。